もう『麒麟がくる』ってタイトルの時点で格好よすぎません?
頑張って生きよう…2020年まで…。

麒麟である明智光秀が来るって意味なのかな。それとも、光秀のところに麒麟が来るって意味なのかな。なんとなく前者っぽい気はするけど、どっちなんだろう。

王が仁政を行うときに現れる神獣「麒麟」というと十二国記思い出すなあ。新刊まだかな。
十二国記、読みごたえあるし、読み出したらとまらないんですが、作品に一貫している透徹や清廉や強靭が、たまに心のめちゃくちゃ後ろめたい部分に容赦なく突き刺さってくるので、クリティカルにダメージ受けることがあります。白河の清き流れに住みかねて、じゃないんですが、眩しい! 目が! って感じに。そのシビアなところがいいんですけども。
「バターを味わってみるのはどうだ?」


ホラー映画あんまり得意じゃないのでめちゃくちゃ怖々と、いつでも瞬時に一時停止ボタン押せる状態にしながら観ました。でも、宗教画のような美術と、抑制された静謐な空気を保ったまま、陰鬱とした惨劇に転がり落ちていくので、視覚的にきつくて…ということは個人的にはなかった。えぐいシーンは本当にえぐいんだけど、どちらかといえば「撮り方うまいな!」「この表現センスある!」と唸らされることのが多々。
なんなら、BGMのあからさまな不協和音の弦楽器といきなり鳴る打楽器の方が心臓に悪かった。

これネタばれになってしまうかもしれないんですが、ラストのあのすべてを打っ棄った怖気立つような解放感に、アナ雪のエルサ築城シーンに通じるものありませんでした? エンドロールにレリゴー流してもいいくらいの。
「いいえ。明日になれば、思い出せなくなってしまうわ」


確か、映画の方の『この世界の片隅に』のレビューで見かけたものだったと思うんですが、序盤に描かれる主人公の幼少期が現実と空想でごちゃまぜになってるのは、視点が夢見がちな子どもだからというのもあるけれども、これを語っているのが現代でおばあちゃんになった主人公だからではないか、という意見。
もちろん作中に年老いたすずさんは登場しないし、仮定の域を出ない話なんですが、ゆるやかに薄れて失われていく戦前の記憶を、老婦人が一つ一つ取り上げ、取りこぼしながら訥々と語っていると思えば、あのマジカルな描写もよりいっそう愛おしいものに思える。

そして『千年女優』。こちらは明確なおばあちゃんである千代子が語り手。
どこまでが現実に起こったことなのか、どこからが虚構の出来事なのか。そもそも現実と虚構の線引きに意味なんてあるのか。現実にあったはずの物事も、記憶になってしまえばすべて虚構なのではないか。
何回も観ているはずの作品なのに、見るたびに細部こんなんになってたのか、と楽しい。
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